三宅島旅行記


2000年6月に大噴火を起こし、
例年にないぐらいの長期の避難を強いられた三宅島。

そんな三宅島も2005年2月から、徐々に帰島が解禁となり、
2005年5月に観光も解禁になりました。

三宅島は、私の父方の田舎があり、
子供の頃は毎年のように遊びに行った所でした。

そんな三宅島の観光入島解禁直後に行った記録をお楽しみ下さい。

なお、当時、掲載しきれなかった写真なども追加し、
多少の加筆修正をしました。

2006年某日

三宅旅行記-1.きっかけ-(2005/05/01)

三宅旅行記-2.出発-
三宅旅行記-3.島内あれこれ-
西暦2000年6月26日、
三宅島は雄山の噴火による火山性ガスに飲み込まれ、
大きな被害に見舞われました。
日本中の人たちが協力して立ち向かいました・・・
応援してくれた皆さん、ありがとう。

三宅島は元気です。
私もなんとか元気です、今は西暦2005年5月2日・・・
宇宙のステルヴィア風に出だしを書いてみる。



ふとテレビを見たときのこと。

三宅島の観光入島が解禁


されたというニュースがやっていた。

・・・よし、明日行こう(お

と言うわけで、すぐに「はっくるべりーふれんど」を誘ってみる。

「いいねぇ〜」

そんなこんなで、三宅行きが決定したのでした。

三宅旅行記-2.出発-(2005/05/02)

まだ読んでない人はこちらを先にどうぞ:
三宅旅行記-1.きっかけ-
三宅旅行記-3.島内あれこれ-
三宅行き決行の日。

朝から普通に仕事でした(汗

昼休みなどを駆使して、
現地のレンタカーなどを調達する。

「宿はどちらですか?」
「日帰りの予定です。」
「じゃあ、半日プランですね?」
「あ、でも、船に乗り遅れたら臨機応変に対応します。」

さぁ、準備はみんな終わったぞ

会社から竹芝への移動の途中で、
現地の親戚関係へのお土産を買って、
竹柴ではっくるべりーと合流。

颯爽と2等船室のチケットを買って、船に乗り込む。

東海汽船の2等船室は自由席だから、

急いで席を確保しないと、甲板で寝ることになる
それだけは避けねばならない。


いざ出陣



あれ?今は2等船室も指定席なんだ。


↓指定席の図


指定席って、単にガムテープで仕切ってあるだけじゃん


拍子抜けしつつ、22:30に出航〜

船内レストランでカレーを食ったりして過ごしたあと、
すぐに就寝モード


そして、1日目の夜が静かに更けていった・・・






揺れるね・・・もの凄く。





あ〜かめりあ丸か←今頃気づく。
※大型船のすとれちあ丸より揺れる中型船

三宅旅行記-島内あれこれ-(2005/05/03)

まだ読んでない人はこちらを先にどうぞ:
三宅旅行記-1.きっかけ-
三宅旅行記-2.出発-
まだまだ、揺れています。


今は、朝の2時です。

つか、2時間しかねてねー

お手洗いに行って再度寝る



で、今度は4時に起きる。

隣のはっくるべりーも、もぞもぞ起きだす。




5時になって船内放送
「本船はまもなく三宅島錆ヶ浜港に到着します。
港の、ガスレベルは3
下船の際には、ガスマスク着用が義務づけられています。」


・・・Σ(゚Д゚;)
ガスマスク持ってないよママンorz

案内所の人に聞いてみる。
「ガスマスク無いと下船できないんですか?」
「乗船の際に買わないといけません。
あと、着用の判断は我々ではなく行政ですので知りません。

うーむ。どうしよう・・・

船が港に近づくと、
硫黄のにおいがしてくる。

・・・やばいかも・・・

と思いつつ、何も付けずに下船。

普通に下船できました。

ってか、ガスマスク付けてない人たくさんいるし。
むしろ、桟橋の人も着用率は50%ぐらい。

レンタカーの送迎を見つけて、
他のお客を待ちつつ、ガスマスクの質問してみると、


「いや、あんまり関係ないですよ。
マスク付けると息苦しいし。

「三池(高濃度地域)を車内から、
写真を撮ろうと思っているんで、
ガスマスクはどこで売っているのでしょうか? 」
「ガスマスク?どこで売って居るんだろうねぇ〜
でも、三池は今日はガス少ないから大丈夫なんじゃない?




・・・てきとーだ。




でも、怖いので、レンタカーを借りて
いきなり三池には行かずに、
情報収集のために借りた車で阿古(錆ヶ浜)に戻る。



途中、親戚にお土産を配ったり、
大路池や新澪池などを巡って、阿古に戻る。


長太郎池。
溶岩に囲まれた池があって
島で一番賑わった遊泳ポイントの一つ。
(右下にいるのがはっくるべりー)


こんな感じね



大路池。
大昔の噴火口に水がたまった池。



迷子椎
(まいごじい)

火の神様が宿っていると言われている椎の木。



新澪池跡。
1763年の噴火口に水がたまった池だったが、
昭和58年の噴火で水蒸気爆発を起こして消滅。


って、ここはホントは立ち入り禁止だったらしい。

この看板より、禁止区域の外側にあったから
平気だと思って降りちゃったorz


で、ガスマスクの購入ですが・・・
売店などが軒並みしまっているので、
神着まで足を伸ばす。


神着にも親戚が居るので尋ねてみると居ない。



携帯電話に電話してみると・・・

「あ〜今日の船で帰るのよ」

自分は一日早かったのねorz




近くの郵便局が営業していることに気がついて、
ガスマスクがどこで買えるかを聞いてみる。

「え?さぁ?知らないなぁ〜」

・・・ほんとにガスマスク携帯義務のある地域の住民ですか?皆さんorz

・・・支給されているにしてもフィルターはどうするのだろう??
※フィルターは2時間ぐらいしか持たない。


朝食もままなってない私たち。
これから先は三池高濃度地域なので
食事をとれる場所を探しに阿古に戻る。



阿古のホテルでレストランが営業しているかを聞いてみたら、
宿泊客用に朝食が並んでいるテーブルに案内されて、
食べさせてもらえた。



ついでに、ガスマスクの所在も聞く。




ホテルで案内された観光協会に行って、ガスマスクを買う。

ついでに、情報収集・・・




「ふるさとの湯は営業してないんですか?」
「してないですね〜もう一つ温泉はあるのですが」
「あぁ、三七山のあたりですね。
あの辺は掘るとお湯がでますねぇ〜
でも、高濃度地区でしたよね?」
「そうなんですよー。
ところで、地元の方ですか?」

「いえ、祖母が三池に住んでいて」
「三池のどの辺?」
「この辺と、あと▲▲にも家があって」
「え?三池の▲▲って、○○さん?」
「え、あ、はい。」
「私、遠い親戚ですよー」
「へ?」
「神着の××さん知っていますよね?」
「あ〜今日の夜の船に乗って明日来るらしいですよ。」
「そこ私の親戚」
「えーーーーっ」

島は狭いorz




その後、世間話をしつつ、
渡しそびれて持て余していた、
お土産を差し上げようとしたら

「え、いいですよ。
むしろ、××姉に渡しておきますよ。 」




お言葉に甘えました。

観光協会を後にして、島のあちらこちらを巡って、


ゴミ捨て場と化した学校



えっと・・・昔の噴火跡としか覚えてない(汗



メガネ岩



伊豆岬



高濃度地区である、
三七山(昭和37年の海底火山跡)




等を見たりして、三池地区へ。




























なんというか、観光協会の遠い親戚の方が言っていた
「この辺は夏に向かっていますが、 あのあたりは冬ですよ。 」
の意味が分かった気がする。




特にこの写真

右側は昔は木が生い茂っていたのに、
真っ白に立ち枯れしているのよ。

で、道路の左は海というか砂浜なんだけど、
砂浜が黒いのは昔からなんだけど、
ホントはここから砂浜は見えなかったんだよね。
防砂林が一面に広がってて・・・


・・・あれ・・・涙が・・・



それでもっ!



枯れた草の中に、
こういう自然の息吹を見つけると、
心安まります。

島をこの姿にしたのも、
やはり自然なのですが・・・


その後、ぐるっと巡ってレンタカー会社の前に戻ってみる

と・・・ まだ9時だ
ヽ(*´Д`)ノ早足で廻りすぎたよママン

しょうがないので、島をもう1週する。(お

あと、当初の予定の一つ、祖父の墓参りもする。
線香一つ焚くのに、
営業を再開した商店で1箱買う。
(こんなにいらない・・・(´・ω・`))


その後、今度はゆっくりと、メガネ岩などを見て廻る。
温泉やっていれば時間がつぶせるのになー


メガネ岩周辺・・・


ゆっくり観光したら、結構、時間がつぶせた。


で、島を一周したら、ちょうど12時ぐらい。

レンタカーを返して、
早々と桟橋に送ってもらおうと話をする。

「え、もう良いの? 船は1時間半遅れだよ?」
「あ、良いです、墓参りとか、
三池の祖母の家を見たりは出来たので。」
「三池の人?どこ?」
「えっと、▲▲の・・・」
「あ〜○○さん?」
「はい。」
「うち、噴火前は○○さんの家の前だったんですよ。」
「工エエェェ(´д`)ェェエエ工」



島は本当に狭い。


桟橋に着いて、切符を買う。
列の前の人「2等船室和室で」
窓口「はい」
自分たち「2等船室和室で2名」
窓口「売り切れました。椅子席のみです。」
自分たち「あ、2人別々でも良いですよ?」
窓口「それも含めて、さっきの方で売り切れです。」
自分たち「キャンセル待ちは?」
窓口「船内で申し出てください。」

il||li _| ̄|○ il||li




とりあえず、乗船の列をつくる指示が出るまで、
近くでお土産を買って、昼食をとることに

おみやげ物屋さんで、またも世間話。
「観光協会の人が遠い親戚でびっくりしたんですよー」
「どちらの方ですか?」
「三池の▲▲の。」
「あぁ、□□婆のところのー
この間、□□婆に南大沢で会いましたよ。」

※南大沢・・・三宅島の島民の多くが避難している多摩ニュータウンのこと

やっぱり島は(以下略





食堂はは未だ営業してなかったので、
お土産だけ買って、食堂に荷物を置かせて貰って、
朝のホテルに向かう。


で、頼んだのは一番高いランチセット↓

この他にコーヒーとアイスもでたけど撮り忘れ。


その後、荷物を受け取って、
船に乗船して、1番のりでキャンセル待ちを申し出たら、
あっさりと、椅子席から和室に変更できました。

ってか、Fデッキって
これダブルシート用のリザーブシートクサイ・・・

現に、Fデッキに行くと、誰もいないw
まぁ、しばらくしたら、ぽつりぽつり人が増えたけど。

そんな、こんなで、強行軍は終わったのでした・・・


西暦2000年6月26日、
三宅島は雄山の噴火による火山性ガスに飲み込まれ、
大きな被害に見舞われました。
日本中の人たちが協力して立ち向かいました・・・
応援してくれた皆さん、ありがとう。

三宅島は元気です。
私もなんとか元気です、今は西暦2005年5月3日・・・

そして、私たちは来たんです。そう三宅島に・・・
ここから私たちの道のりは、
復興の道のりは始まろうとしています・・・
宇宙のステルヴィア風に終わりを書いてみる。(しつこい!)